「逃げた」と自分では整理している転職が、これまでに2回ある。
誰かにそう言われたわけじゃないし、当時の同僚から批判されたこともない。
むしろ「前向きな転職だね」とすら言われた。
けれど、心の中ではずっと、後ろめたさと、申し訳なさと、どこか情けない気持ちが混ざり合っていた。
■ コンサル時代 眠れない夜、動悸の朝
最初に「逃げたい」と強く思ったのは、コンサルティングファームに在籍していた時だ。
転職して間もない頃は、刺激もあり、やりがいもあった。
自分の成長を感じられる瞬間も確かにあった。
でも、案件が重なり、スケジュールがどんどん詰まり、提案書づくりやクライアント対応に追われる日々が続くにつれて、心と体がついていかなくなった。また、以前にも書いたが、理不尽な上司の対応・・・
ある日の深夜、ベッドに入ったはずなのに、目を閉じたまま呼吸が浅くなっていくのが分かった。
翌朝、アラームより早く目が覚めて、心臓がバクバクしていた。
「今日も仕事か」と思った瞬間に、胸がぎゅっと締めつけられるような感覚があった。
それでも、無理して会社に行く。
そして、日中は平静を装って過ごす。
ただ、帰り道にふと立ち寄ったコンビニで、何を買いに来たかも思い出せず、冷蔵棚の前で立ち尽くしていたあの瞬間。
「これは、限界が近い」と感じた。
そこから転職を真剣に考えるようになった。
■ 経営企画での葛藤 “逃げる”か“責任を取る”か
次の職場は、経営企画部門の管理職だった。
数字を扱い、経営陣とも距離が近く、まさに“会社の中枢”にいる感覚があった。
部下もできた。裁量もあった。
やりがいは大きかったけれど、それ以上に「背負うもの」も大きくなった。
業績責任、株主対応、資料づくり、社内調整、マルチタスクの連続。
プレイヤーでもあり、マネージャーでもあり、経営の通訳でもある──
それが「経営企画」というポジションだと、身をもって知った。
最大のストレスはサイコパス上司だったのですが・・・。
あるとき、転職エージェントとの面談で弱音を吐いた。
「心身ともに限界なんです」
そのとき返ってきた言葉が今も記憶に残っている。
「部下を置いていくんですか?」
鋭く刺さった。
自分ひとりが“楽になりたい”なんて思っていないつもりだったけれど、
どこかで「もうここから降りたい」と思っていたのも事実だった。
部下に対して申し訳ない気持ちはあった。
でも、自分がこのまま壊れたら、結局、誰も守れないんじゃないか。
それもまた、事実だった。
■ 逃げたわけじゃない、守るための一歩だった
この2つの転職は、自分の中では「逃げ転職」だ。
でも、今になって思う。
あれは「守るための転職」だったんだと。
自分を、家族を、そしてこれからのキャリアを守るために、あのとき逃げるという決断が必要だった。
もう少し我慢していたら、体が本当に壊れていたかもしれない。
心のどこかで「これ以上は無理だ」と気づきながら、見て見ぬふりをしていた自分を、止められたのは他の誰でもなく、自分だけだった。
■ 「逃げる力」を持つということ
社会に出ると、どうしても「逃げること=悪いこと」「責任放棄」といったイメージがつきまとう。
でも、心と体のサインを無視して、無理を続けることが“責任感”なのだろうか。
僕は今、「逃げる力」もまた、生きていくための大切なスキルだと思っている。
そして、あのとき逃げたからこそ、今の自分がある。
もう一度働く気力がわいたし、新しい場所で信頼関係を築くこともできた。
逃げても、人はちゃんと立ち直れる。
■ 最後に:もし、あなたが今つらさを感じているなら
・朝、目覚めた瞬間に動悸がする
・夜、眠りが浅くて、何度も起きてしまう
・何もしていないのに疲れている
・日常の些細なことで涙が出そうになる
こうしたサインがあるなら、それは体や心が出している「やめどき」のサインかもしれません。
逃げることに、恥はない。
むしろ、自分を守る強さがある人だけが「逃げる選択」をできるのだと思います。
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