Amazonプライムで「映像の世紀」を観て
夜にひとりでAmazonプライムを見る機会が多いのですが、好きな番組の一つとして、NHKオンデマンドの「映像の世紀バタフライエフェクト」があります。
もともと歴史番組は好きですが、このシリーズは単なる史実の羅列ではなく、「人間の選択」や「人間の行動」がバタフライエフェクト(水たまりに落ちた水滴波状で広がっていく)でどんな未来を作るかを描いていて、毎回心を揺さぶられます。
とあるエピソードは特に忘れられません。
911同時多発テロで息子を亡くした父親が、「なぜ息子は犠牲になったのか」を知りたい一心でイランへ渡る物語。(オサマビンラディンへ手紙も書いた)
ただ事件を憎んで終わるのではなく、真実を知ろうと現地に向かい、そこで苦しむ子どもたちに出会ってしまう――その展開に強く引き込まれました。
悲しみをどう受け止めるか
その父は、恨みを晴らすでもなく、アメリカからの攻撃で苦しむ子どもたちと交流し、心を通わせることを選びました。
「このままでは恨みがまた次の暴力を生む」
そう感じて、繰り返しアフガニスタンに通い、現地の子どもたちと時間を過ごしたのです。
深い悲しみを抱えながらも、他者の痛みに寄り添おうとする姿。
私だったら、同じ状況でそんな行動ができるだろうか。
怒りや喪失感にとらわれて動けなくなってしまうのではないか。
番組を観ながら、何度も自分に問いかけていました。
自分の経験と重ね合わせて
もちろん、私はテロで家族を失うような経験はしていません。
でも、人生の中でつらいことや悲しいことを経験したとき、その気持ちをどう処理するかは誰にでも共通するテーマだと思います。
過去に自分も、大きな挫折、辛い経験を経験したことがありました。
そのときの自分は、正直「なぜ自分だけがこんな目に」という思いにとらわれて、なかなか前を向けなかった。
だからこそ、番組の父親の姿が胸に刺さったのです。
「悲しみを行動に変える」こと。出来事に対し意味を見出し行動を起こすこと。
言葉にすればシンプルですが、実際にやるには強さと覚悟が必要だと思います。
人生の後半戦に思うこと
番組を観ながら、自然と自分の人生を振り返っていました。
気づけばもう後半戦。
若い頃のようにがむしゃらに挑戦するだけでなく、これからは「何を後世に残せるか」という視点が大事だと強く感じます。
もちろん、世界を変えるような大きなことはできません。
でも、微力でも後世の役に立つことはできるはずです。番組名と同じで、一つの行動は微力かもしれないけど、波状となって広がり大きなインパクトいなるかもしれない。
仕事を通じてでもいいし、家庭を通じてでもいい。
こうしてブログを書いて、誰かに共感してもらえるだけでも、小さな意味があるのかもしれない。
ただ日々を消費するのではなく、積み重ねが未来につながるような生き方をしたい。
そう思わせてくれたのが、今回の「映像の世紀」でした。是非見てもらいたいです。
まとめ
昔から見てきた「映像の世紀」でしたが、まさかここまで自分の心を揺さぶるとは思っていませんでした。息子を失った父の姿は、悲しみをどう受け止め、どう行動に変えるかという問いを私に投げかけてきました。
これからの人生、私自身も大きな力はなくても、できることを小さく積み上げていきたい。
微力でもいいから、誰かの心を少しでも楽にできたり、後世につながることをしていきたい。
「映像の世紀」を観ながら、そんな静かな決意を胸にしました。
※余談ですが、番組でも出てくる父親の焼鳥屋はこちらになります。是非一回行って話してみたいな。
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