最近、気づいたら一人で映画を3本立て続けに観ていた。
『鬼滅の刃 無限城編』『TOKYO MER~走る緊急救命室~南海ミッション』』『国宝』──全くジャンルの違う作品を、誰にも気を使わず、ふらっと一人で。
「この歳で一人映画ってどうなんだろう」と最初は思ったけど、結論から言うと──めちゃくちゃ良かった。
そして今回は、その中でも**一番意外な衝撃を受けた作品『国宝』**について書いておきたい。
■ 歌舞伎にも俳優にも、興味ゼロだった僕が…
正直に言って、僕は歌舞伎にも、吉沢亮にも、横浜流星にもほとんど関心がなかった。
「なんとなく名前は聞いたことある」くらいで、映画の前情報もほぼなし。
(ネットであまりにも騒いでいたので見にいった)
それでも──
観終わったあとには「すごいものを観た」という感覚だけが、心にずっしりと残っていた。
■ 人生を“芸”に捧げた男たちの物語
この映画は、単なる歌舞伎映画じゃない。
“芸の道にすべてを賭けた二人の男”の壮絶な生き様の物語だ。
横浜流星が演じるのは、名門歌舞伎一家に生まれ、芸の継承を宿命づけられた男。
吉沢亮が演じるのは、ヤクザの家庭に育ちながら、芸の世界に救いを求めてのめり込んでいく男。
一方は、守るべき伝統の重みに苦しみながらも、それを背負っていく。
もう一方は、壊すような勢いで芸にぶつかっていく野性味をもっている。
この対照的な二人が、舞台の上で交錯する。
愛憎、嫉妬、尊敬、孤独、執着──
人間の中にある“純度の高すぎる感情”がぶつかり合う。
■ すべてを捨てて芸に集中するという悲哀
この映画の最も印象的だった点は、
**「芸以外を捨て去ることでしか到達できない高み」**を描いていることだ。
恋愛も、家庭も、普通の幸せも──
すべてを断ち切った先にしか見えない景色がある。
それは美しくもあり、あまりにも切ない。
僕には、到底真似できない。
でも、観ていて心が震えるのはなぜだろう。
きっとどこかで「そこまで何かに打ち込めた人生」に憧れている自分がいるからだ。
ある意味、そこまで打ち込むことから逃げてきた人生かもしれない。
■ 演技が“演技”じゃなかった
吉沢亮と横浜流星。
正直、これまでそれほど意識したことがなかった俳優だった。
でも今回、完全に印象が変わった。
目の演技、身体の動き、表情の微細な変化──
スクリーンに釘付けにされた。
彼らが演じていたのは役ではなく、**「生き様そのもの」**だった。
セリフの一つ一つが胸に刺さる。
ラストの静寂すら、強烈な余韻を残す。
■ 興味がない分野だからこそ、得られる衝撃
僕は歌舞伎の知識もないし、これまで触れる機会もなかった。
でも、だからこそこの映画を観て得られたものは大きかった。
知らない世界の深さに触れると、
「自分の知ってることなんてほんの一部なんだな」と思い知らされる。
そして、興味がなかったからこそ、逆に純粋に感動できたのかもしれない。
■ 一人映画は“心を整える”時間かもしれない
年齢を重ねると、映画を観る時間すら贅沢になる。
でも、ふと空いた一人の時間に、こうやって映画館に飛び込んでみると、
自分の中の“静かな感情”と向き合える時間になる。
映画を観終わって劇場を出た時、
「また一人で観に来よう」と自然に思った。
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