「やめたい」と言えない空気
ネット記事やX(旧Twitter)などを見ていても感じるのが、
「中学受験やめたいけどやめられない家庭」の多さ。
子どもが疲れている。
親も正直しんどい。
でも、辞める決断ができない。
そして親たちはこう思っているように見える。
中学受験 → 難関私立 → 良い大学 → 大企業
この“王道ルート”から外れるのが、怖い。
それ、ほんとに“子どもの幸せ”?
自分の親世代にも、「学歴と安定」を正義にしてきた人たちが多かった。
中学受験する子の親だって、たいていはそれなりの学歴があり、有名企業に勤めている。
でも、僕は思うんです。
そもそも東京にいないと幸せじゃないのか?
大学出てなきゃ、人生終わりなのか?
スポーツ、芸術、手に職、地域で生きる力。
そういう選択肢で、幸せに暮らしてる人はいくらでもいる。
僕は“レール”を手放してきた
僕自身、子どもには中学受験をさせていません。
自分の価値観として、それが“正解”だとは思わなかったから。
そして何より、僕自身が途中まで「レール」にのっていたものの、
この十数年は「レール外れた」道を歩んできました。
- 大企業を辞めた
- 転職を何度も繰り返した
- 世間から見れば“安定”とは程遠い道
でも、今は思います。
自分の足で選んできた感覚がある。
他人の期待ではなく、自分の意思で進んでいる、自分の人生を生きている実感がある。
それって、ものすごく大事なことだと。
親が“自分と違う道”を怖がっている
中学受験に限らず、
親はつい「自分の知ってる道」に子どもを乗せたがる。
それは、親が自分の経験した世界しか見えていない、分からないからかもしれない。
でも、子どもにとっては、
「自分が選んだ道を歩いている」感覚の方が、
よっぽど価値があるんじゃないか。
やりたいことをある程度は尊重してあげた方が、人生後悔が残らないんじゃないか。
こう思います。
幸せの形は、一つじゃない
僕は、子どもに伝えたい。
たとえ人と違ってもいい。
自分で選んで、自分で責任を持てる人生を歩んでほしい。
自分の足で立って、自分で決めて進む力。
たとえレールを外れても、それは“道がない”わけじゃない。
むしろそこに、オリジナルの道がある。
たとえ、うまくいないことが多くても、幸せはどの道を進んでも必ずある。
そんな背中を、親として見せていきたいなと思っています。
コメント